日本語は、難しい。
日本国民でも使いこなせない。
なんというか、いつも本当に悩ましく思っている。物事を一つ表現するだけでもたくさん時間がかかる。ウンウンと頭を悩ます。
私は「考える時間」というものに対して懐疑的なところがあって、そんなもんサウナでじっとしている時や、外気浴でウェッティな干物になっている時にふと思いつくのがアイディアだと思っていた。
昔の私はラーメンを食い終わった後の余韻を文章に昇華して、当日すぐに投稿していた節があった。エネルギーを蓄え、事件性のある事柄を目の前にしてはテンションをぶち上げて筆を取っていたような気がするんだが…気のせいか。
いや、気のせいじゃない。気のせいじゃないからこんな時間、22時半近くまで
「キャプション書けませぇん溜まった仕事消費してたら書けるかと思ったら全く書けませぇん!!」とか言いながら泣く羽目になるのである。
日本語を使いこなすと書いたのには訳がある。
喋れるけど書けない。喋れるし読めると思ったら読めていない。
これがもう最近めちゃくちゃ実感させられることで、SNSの海を泳いでいれば一番辟易するのは的外れな指摘。もう、間違いなくこれこそがその実感の種。
いや、なんというか「嫌がらせ」ならいいんだけど、そのポストの意図しているところが本当に読めているのかが重要というか。お前本当に読めてる?みたいな文句が多すぎて、どうも俺のこのクソみたいな文章も曲解されている気がして心配になってきたのだ。
大事なことって俺のちんちんのことくらいしか書いてないからね!?
どうも気軽に呟くべきSNSだったはずが、一つ一つに意味を込められなければならなくなったのはとても身動きが取りにくい辛さが生まれてきたし、非常に注意して書いたところで「果たしてお前らちゃんと読めているのか」というところが俺はめちゃくちゃギモンなわけだ。
はっきり言って文章は声に出して読まないときちんと読み切ることができないし、「速読」が出来るのは元々本を読む訓練がしっかりできていた人に限られた技術と考えないと危ういし、「声に出して読みたい日本語」ってよく言うけど
そもそも声に出して読めない日本語はダメです!
皆さんこのブログも声に出して読むように!!!!
いや、やっぱり読まなくていい。
そんなことが言いたいわけではなかった。
なんというか「通常の大」っていうオーダー自体が比較対象をどこに置くかで意味が全く変わるし、横に座った常連さんがオーダーしていた「大控えめで」も、その「大」の基準が「お店の基準でお願いします」って言ってない時点でもはや全ての決定権はあの「折られた平ザル」にあることは自明だった。
はずなのに
はずなのに!!
こ、
こ、、、、これは!?!?!?
日本語通じてたか?と考えることほど愚かなことはなかった。
そもそもの話、俺の詰めの甘さと、社長の愛情が肥大した結果がこの目の前のブツ。
ヤサイ食ってブタ下ろして麺量確認…ってこれ結構沈み込んでるよな…とか思いながら箸を差し込む。
麺引っ張り…ギリギリだな。重い。
ズルッとやれば嗚呼…最高に美味い。濃いお醤油とアブラで食わせるこの、なんか珍しいくらいに硬い麺が気持ちいい。
嗚呼…爆発するアロマが口腔内を暴れ回る。俺、これを食いに神保町まで来たんだな、って思うとなんかもう、アレ。
ブタさん広げればいつも通りの仕上がり。デカすぎ。二郎は男の夢を現実にしてくれる。もはや焼肉食い放題なんかよりラーメン二郎の方が肉が食える説すらある。
とか言いながら頭馬鹿になってたら食いきれなさそうになってきたので生玉子に助けてもらういつもの流れ。
堪能した!
大満足完食フィニッシュムーブ深々と会釈して退店!!
久々に夜飯要らないレベルの満腹感が朝まで続いた。
矢張り月1神保町は絶対!
次から小にしよう、ってなるかというと…
それはまた別の話