輝道家 『チャーシューメン中盛 ライス』
最近は家でずっとYouTubeばかり見ていて。
と言うよりは見ていなくて。聴いてすらいないこともあって。
なんかもう集中力という集中力が削られた一年間だった。というよりは、歳をとっていくにつれ、どんどん脳の構造を破壊されていっている気がする。
これが自分だけなら問題なのだが、実際はどうなのだろう。これは加齢なのだろうか。
なんというか、日本で生まれ育ったら基本的に4月をスタートとしてヨーイドンで走り出す。4月2日に生まれた人間と1年後の4月1日に生まれた人間がヨーイドンで机に向かう。ここのアドバンテージってめちゃくちゃ大きいなと思っている。
運動能力に関しても小学生くらいであればめちゃくちゃ差があるように感じられる。算数の計算経験もほぼ1年違ってくる。だからこそ厳しい立場、環境に置かれることによって切磋琢磨してきた人も多いけど、「そうでなければ救われたのではないか」と思うことも多々あるわけだ。
どうも俺は環境の差というのは非常にあると思う。そこの過程で学んできたものも変わるし、あの時こうであれば、というのはまあなんというか自分自身においては「成長がない」という考え方だというのもわかるんだけど、俺は「あの人はあの時環境が違えばどうだったんだろうか」とも考えてしまう。
生まれ育った環境の違いというのはとてつもないファクターだと思うし、どこまでも突き詰めてみればキリがないんだけど、このあと生まれてくる人間たちのことを考えてみると、次の世代への環境整備っていうのは我々の使命として抱えていく必要があるんじゃないかと思うんですよ。
まあそれでも俺は蹴落とし蹴落とされ精神がないわけじゃないんですけど。
どうもそんなことばかり考えたくなるのは、現在置かれている立場というものもあるのかもしれない。
4年前にビール屋やっててよかったな、って思わされることばかりだし、結局俺の居場所って個々だったのかな、と今の段階では思う。収入めちゃくちゃ減ったけど。
それでも活き活きして働くことができれば、それは本当に俺の求めていた場所なんだろうとすら感じている。
ま、どうなるかわからんけど。
そんなことを考えながらも、ここんとこもどういうふうに変わってきたんかな、ってのを感じて滑り込んだわけである。
こ、
こ、これは!?!?!?
前回のことを思い出して俺は濃いめコールをやめた。甲高い声が耳をつんざき、俺の鼓膜をガチで震わせたことでまずもう結構厳しい戦いを予想された。
見ろ…すっかり王道っぽい見た目じゃないか。
ズルっとやれば嗚呼…柔めの麺が酒井っぽさ満点。王道家の麺だろうけど。
濃い目にしなくても悪魔4番レベルのガチ塩分で俺はすでに二杯目のライスを予想した。
クンチャー移植して幸せ丼形成すれば嗚呼…最高の丼だ。
お米をノリで巻いたら完璧。ライスが足りなくなるブツ…俺はこれが食いたかったんだな。
サクッと完食フィニッシュムーブ軽く会釈して退店。
野方から横浜まで大移動する仕事をこなしつつ俺は…
俺に降りかかるカロリー地獄のことを全然気にしていなかった。
ま、3万歩近く歩いたからいいや。もうちょい鶏油欲しいよな。