旅先くらいゆっくり景色でも見て過ごせよ
なんて言われて当然だが
そうもいかないのが腐れインスタグラマーなわけで。でもなんだか移動中に携帯いじるとあれ。うん。アレ。バスはね、酔うの俺。前の方に座っても酔う。こんな小窓いじるもんじゃないですよ、とか言いながら酔っ払っていくから、多分俺は長旅に酒とか向いてないんじゃないかとずっと思っている。
ところですっかり定刻を過ぎそうなんだが。膀胱がパンパンになって仕方ない。
そんなことを言いながら今日もまた投稿のネタを貯めた。2日投稿しなかっただけで4投稿も増えた。
実質ストック+2。
こりゃやばいねなんて言いながらも実は、こないだインスタで削除された投稿を編集はしていた。編集はしていたんだけども。
一度削除された投稿を再度し直すなんて諦めが悪すぎるし、俺だったらまずそんなもん読まねえし。かといって記録は残したいなと思うわけだしでもそんなもんで記録してどうすんだと思ったりもする。
あの投稿の何が悪かったかを確かめたいだけだけだ。たぶんいけないのはコメント欄にいたガルフィー奴だ。だから許してくれといって今回投稿するのはやはり順番通りのブツなのだ。
俺は過去に立ち返ったりすることはない。
最近一冊の本を捨てた。ビジネス書を捨てて街へ出ることを進めるビジネス書だったので、まあ読み終えて即捨てた。さっき仙台で。発売してからしばらく経つのに全く読んでなかったのは内緒だよ。
その本には、知識から発展したものが教養である、というようなことが書かれていた。かなり意訳なので怒られるかもしれないと思いながらビクビクして書いている。
ようは雑学的な知識を越え、体系的な知識を身につけることなのだろうが、これの肝は実際のところ、如何に懐疑していかに自分なりのポイントを見つけるかということだ。
自分なりの解釈と理解を世界に提示できて初めて、教養になるという印象を受けた。
例えばラーメン二郎につい…いや、これはnoteのネタになるからやめておこう。
知識を体系化して懐疑から主題点を見つけ出すという性質を持つことから、
教養とは感受性という意味での受け取る力についても表しているのではないだろうか。
てかぶっちゃけた話だ。
「大学で学べたことは何もない」とか言ってるやつ。いるよなー、たまに。
学問の本質ってこういうことだということにも気づけないんだと思う。
俺は味噌っ子をめぐるストーリーについて紐解いていきたくなっていた。
こ、
こ、これは!?!?!?
ハイパーサボリングラーメンバカ一代に日時指定されて集まってみれば、昼間のいい時間だっつうのに10人も並んでなかったのは運が良かったと思うべきか。
眼前に立ちはだかる坦々麺はいつも通りのマッドイエローと鮮やかな赤のコントラスト。
地肌の見えた山を削っては落として絹糸を引っ張り出すような想いに駆られる。
ズルっとやれば嗚呼…美味すぎか。ど濃厚お味噌スープマジ最高のブツ。
そしてちゃーしゅー飯もブレなししょっぱ目むしろこれを2杯食いたいと思うレベルの逸品。
AJTMAZMSぶち割ってみればマジで鮮やか100点満点です!
最後はお酢プレイして戯れすぎた。
大堪能❗
サクッと完食当然#完飲制倶楽部 ゴクゴクブチカマしフィニッシュムーブ深々と会釈して退店。
2日もキャプション書いてないから心配だったが、旅が俺を強くしてくれたに違いない。
そしてみんな#ビジネス書を捨てよ街へ出よう を買おう。そして捨てよう。
とか言ってカバンの中に入ってるのは内緒だよ。
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