声に出して読みたい日本語
ではないッッ!!
断じてそうではないッッ!!
なぜ俺はインスタに書いたキャプションの朗読なんかを始めているのだろうか。こんな辱めはないというくらいのタイミングで「ルーム閉めるからそろそろ用意して」なんて指示されて。仕方ねえなあって読み始めたらルームで喋ってた人たち全員退出して、リスナーだけ放りっぱなしにされてさ。
滑舌も悪けりゃ読み間違えもする男の朗読を聞かされるわけだ。
そんでもって読む方も読む方だ。わかってるなら練習しとけと。なんか勢い余って読む練習をしてみたらわかるこの文章構成の適当さ!つらい!!こんなにも辛い気持ちになると思わなかった!!俺の言語野は音声的な構成を無視して俺の指を経由しこの画面に文字を写しているのだと思うとなんだか本当に人間というものの奇妙さと、もしかしてこういうの俺だけ?
という疑問が一気に襲ってくるハメになった。
私生活の充実よりも商い生活の充実こそが喜びになる。必要とされているような感覚がある。どうも俺はなんというか「褒められても褒められた感覚がない」あの頃の人生を全否定したくなるような日々を過ごしているような気すらしている。当然あの頃の方が売り上げの数字は良かったし、人助けとしての達成感もあったような気がする。
ただただ、無機質だったのだ。人の喜びと、社会への貢献と、報酬の潤沢さというところを手に入れつつも、あの四角い部屋に詰め込まれて行き場を失った魂が、また広大な世界に飛び立てたことの方が喜びに感じられる。
そんなことを布団に入ってモジモジしながら過ごしてたら、早稲田に到着するのも遅くなってしまった。
とてつもないゾンビの数に圧倒され、歴18年の筆頭ゾンビに「早く起きろよバカ」などと言われてLINEで蹴飛ばされながらおよそ2時間、俺は心の中でキャプションを読む練習を続けていたのであった。
こ、
こ、これは!?!?!?
節約生活を強いられているというのにもかかわらずトッピング全×ついてりゃ世界一頼んじゃうのはもうどうしようもない人だな、って心の中で呟いてた。
そしてなんか幸せを噛み締めていた。
ラーメンが目の前にきたらもうそんなことどうでもよくなるわけだ。
麺ズルっとやれば嗚呼…うめえ…乾物香るスープにお醤油ガン効きしたらもうとてつもない美味さよ。最高か。
何故か増えてた海苔AZMSに感謝の正拳突き一万回してこの分厚い海苔巻き麺食えば俺は心が春になった。
ニンニクぶち込んで食うとなお素晴らしい。こんなにも素敵な時間があるなんて…2時間待ったけどな。やっぱ平日がベストだわ。
サクッと完食勢い余って#完飲制倶楽部 ゴクゴクブチカマしフィニッシュムーブ深々と会釈して退店。
そのまま我々の専属シェフと共に高田馬場まで歩き、俺はそれに加えて東中野までウォーキング。
環水平アーク見つけてテンション上がってた夜に地震きてリバプールがぼろ負けしてかなり凹んだけどな!
はー、これ読めるんかな。