いつまでも話がダラダラと長く続くのには訳があって。
ようはなんというか何を言ってもいいと思っているわけでもなく、他の人との差別化を図ったわけでもない。
書きたいから書いていました。
その書きたいという思いがどこでどう爆発したかと言うと、我々アホどもは長い時間を過ごすことになったせいである。
人に与えられた時間は有限だ。人生のリミットは、標準的な時間にして80歳などと言われているこの現代においても、あくまでそれは標準であり、人それぞれによって持ち時間は違う。
わずか数日で亡くなるものもいれば、100年を超えた寿命を全うしてきた者もいる。生まれてくることも許されなかったこと、それも非常な不運によって、そうなったわけだ。
自我が芽生えていればそれが人格だというわけでもない。人間であるという性と知性によって意味づけられ、運良く生き延びた生物は”LIFE”を過ごしていくことを、あたかも求められたように心のなかに存在していく。
それを檻のように感じられるか、特権のように感じられるかは運命のなすままであり、どうも自分は自分の人生が自分以外のどこかに隠されたコントローラーにいじられたようにも思う瞬間がある。
ところで。
書きたいから書いていた。それは本当のことではあるのだが。
あまりにも時間が持て余されていく。有限に与えられた時間のはずが、我々はまぁバカみたくラーメン屋の前で待つ時間が長い。それは春夏秋冬変わらないわけだが。
ま、寂しかったし。ポケットから手を出しっぱなしにしてたら寒さで死ぬ。そんなレベルだったから、俺はキャプションを書くよりも話し相手を必要とした。
どうしてこうも年末はバカみたく人が並ぶのだろう。俺は暇つぶしの相手に指定したアホな先輩と早稲田通りのゾンビに成り果てるつもりだったが、どう考えても待ち受けているのは「凍死」であった。
あー、やだやだ。やってらんねえ。
早々に諦めた我々は早稲田通りを馬場方面に歩きながらくだらない話を、極めてくだらない話を、くだらないと済ませられないお互いの身の上を話しながら歩いていたら…明治通りに並ぶ、ゾンビと言うには若々しい学生やリーマンを見つけた。
どうにも興味が湧くのは当然のことで、俺はこのあと大層な試合が控えていたし、まぁウォームアップにゃ丁度いいかなと思いながら、先輩から手渡された豚ナンコツの食券を握りしめたわけである。
こ、
こ、これは!?!?!?
最近グラム数指定とかやったことなかったので若干緊張したが、目の前に現れてみたらまあそれなりに食いやすそうなブツ。
普通の丼ならブタも豪華に見えるはずだが、この丼のサイズじゃあな…
ズルっとやれば嗚呼…うむ、濃くてしょっぱくて美味い。二郎よりもちょいボディ重め、そしてしょっぱめ。麺もそれなりに美味しい。
豚ナンコツは俺の予想通りのブツ。これからも出汁とってるんかな。二郎でこのトッピングあったら飛び跳ねて喜ぶんだけど。
危険回避用に生玉子を用意してたがまぁ全然問題なし。しょっぱさに頭ズキズキしてたがまぁそれを避けられたからよかったと思う。
サクッと完食フィニッシュムーブ軽く会釈して退店。
などと言いながらフラフラと高田馬場まで歩き、俺はアホな先輩に「また明日な」と伝えた。
俺は阿佐ヶ谷で死ぬほど飲んだけど年末パワーで起きることができたのである。
まぁ、子に親の罪なし。
続く。