皆さんお分かりかと存じますが
影響されやすい人なんですよ。
ええ、それはもう。ええ。ほんと、ペラペラで。
本当は芯も何もない人間です。ブレることのない体幹の強さというものにずっと憧れて生きてきましたが、どうやら私が憧れているのは人様の食った飯のようでございます。
まあそんな私のペラペラさについてなんてどうでもいいんですよ。
私が言いたいことは「芯のある生き方」って何なんだろう、ということで。
よく言うじゃないですか。あの人はブレない、って。あれ、どうして他人からそういうふうに見えるのかな、って思うじゃないですか。
どうやら「それを指摘する人」が、自分の姿勢の姿勢に自信を持っている、持っていないとかそういう話ではないようで。ようは一本の筋道を歩んでいるかどうかなのだろうと思う。
他人から見てブレていないようでも、自分の中でそのブレの幅を持っている人も当然いるだろう。ついでに言うと「ブレとかブレじゃないとか考えたことのない人」、そしてその中でも「ブレてる人」と「ブレない人」という属性が見られるわけだ。
「意見がコロコロ変わる」「やってることがすぐに変わる」人。こういう人が基本的に「ブレる人」としてみなされるわけだが、どうも俺は一つの答えに辿り着いた気がした。
大抵が「持たざる者」なのだ。
習慣を持たぬ者、信仰を持たぬ者、技能を持たぬ者、趣味を持たぬ者、知恵を持たぬ者…何か自分の中でこれだ、と確固たるものが無い限りは、人の目において「揺らいだ存在」として見えることだろう。
ただ、この持つべき「何か」というのも、そんな大それたものでなくてもいいんじゃないか。自分が大切にして、心血を注ぎ、愛することができるものがあればいいんじゃないかと思うのだ。人であれ、ものであれ、どうか過保護になりすぎないようにする。
ただただ熱中する人は、努力を強いられる人よりも強い。熱中できるものを探すことは、何かの近道なのかもしれない。
そういうことを考えながら、俺も結局大学の頃からこんな内容の哲学・倫理学をやってきたし、ガキの頃からラーメンばっかり食って音楽聴いてプロレス観て、なんかここ10年はサッカーをしっかり見てるなと思った。
でも俺、愛すべき女性をそろそろ見つけたいと思う次第である。
こ、
こ、これは!?!?!?
とはいえ影響されやすいのは間違いない。
フジテレビ赤池氏の書いたコラムが俺の心に突き刺さり、渋谷の某シーシャ屋店主が「塩に青唐辛子トッピングしろ」などと言えば俺、何の躊躇いもなく信頼してしまう二日酔いの朝。
青唐避けてラー油ぶっかけたヤサイ食ってある程度お掃除。
ズルッとやれば嗚呼…いい感じだ。そういえば二郎・二郎系で塩って新新小金井以来かもしれん。
ブタさん並べてみればハーフブタ増しで十分。
二日酔いキツすぎて殉職覚悟してたら塩分上がってきてマジ死亡フラグ。生玉子あってよかった…
ギリギリ完食軽く会釈して退店。
完全に内臓が死にそうな思いだったが、外で仕事したりして早急に帰宅。
お残しだけはしないと決めたのは俺の芯。