相変わらず思わされるのだ。
「普通」って何なんだと。
殆、嫌になる。気持ちがネガティヴな方向に、見えないベクトルが重力に沿っていく。
陰が落ちてきたとしても、何なら一生はしゃいで生きていたいし。
月の灯りが見えなくなっても、俺は新月の姿を目で終えるくらいの視力を持って生きてきたい。お土産は萩の月がいい。例えそれが、白い恋人のお土産袋に入っていたとしても。
「普通」を普通と思って強制するようなものがあればそりゃ同調圧力の完成なわけだが、これが「お前らの方が同調圧力だ!」とか言われたらシュンと縮こまってしまうしかない。
正義が如何なるものかというのもそれぞれあって、なんというか、私が「そりゃ無知の賜物です」と言い放ったところで「俺は無知じゃない」と言われんばかりの態度で反論されれば「あ、はい」としか言いようがない。
例えば「俺はそこで並んでたのに」と言い張ったところで、相手が「見えてなかった」と言えば、相手にとって自分の存在はなかったものになる。割り込みという事実は相手の人生のタイムラインには発生しない。
「パクった」と言われても「パクったつもりはなかった」となればパクったことにはならないし、毎日毎日同じものを食っているという指摘を受けたとしても「俺は暇だし飽きるまで食う。実際に熱も冷めてきた」だけで。そこにおいても自由が生まれる。
そもそも「世界」そのものの認識こそが個人の脳・能に委ねられるのであれば、自身の存在を認識して実存を高めることだけが自己実現と「善」の行為になることは言うまでもないわけだ。社会貢献というものがそこにあったとしても、自己の存在を高めるという意味でしかそこにないのであれば、自分の目に入らないものに対しての意識などどうにでもなる。
どうでもいいものだし、邪魔だと思えば排除し、攻撃的になっても構わない。
という言い分もわかる。
昨日からだいぶ「差別」というワードに脳を振り回され、頭蓋という入れ物にガツガツブチ当たって目の前がブラックアウトし続けていた。
ふと、そういえば今日アップするブツは…なんて見て俺は驚いたわけだ。
これが「普通」のカレーとして見えるのか、という問いが飛び込んできたからだ。
こ、
こ、これは!?!?!?
すっかり大ブームも落ち着きつつある。安心してください、ラーメン二郎の投稿は5件も溜まっております。
未だかつてこんなにネギとニンニクがのった粉砕!玉砕!大喝采なカレーが存在しただろうか。
つべこべ言わずパクッとやりゃ嗚呼…美味すぎる…最早カレーとは和風料理なのではないかと考えさせられる一瞬のインパクト。
小ネギとラー油とカレーが合うなんざ考えもしてなかったわけだ。
久々に生玉子投入すればこれも大当たり!辛さ控えめお肉たっぷりのカレーに合わないわけがない!
後半でニンニク爆発させておネギ混ぜればこんなに幸せになれるもんかと。
発狂しながら食ってた。どうせなら中国の虎よりも俺はベンガルトラになりたい。
堪能した。
サクッと完食軽く会釈して退店。
上石神井から青梅街道へ抜ける道で秋の深まりと空の雲に想いを馳せていたことを思い出した。
献血ルームで読書してたら日が暮れた。
色んな意味で朝三暮四。