本当に色々なものを無くしてきた。
数えればキリがない。
数多くのトラウマがある。単なる「喪失」の経験の話はしていない。ものをなくすということに関して、俺は変に「プロフェッショナル」であるという思いがある。
幼少期からものをなくした経験が多過ぎた印象だ。家の鍵や給食費まで無くした。大抵は家の中にあるんだけど、どうもそれを毎回滅茶苦茶怒られてきたのにも関わらず、一切治ることがなかったように記憶している。
10代の頃にめちゃくちゃ辛かったこととして覚えているのは、ハイパーヨーヨー(発売日に並んで買ったステルスファイヤー)、腕時計(Baby G)だった。どれも思い入れがあるもので、特にヨーヨーなんかわんわん泣いた。まだあれ小学6年生ころだったはずだ。結局どこからも出てこなかったし、未だに誰かにパクられたんじゃないかとも思っている。その直後くらいに大量集団万引きに巻き込まれたこともあったくらいだ。
その時も俺は何も知らされてなかった。被害に遭わなくてよかったと安堵していたはずなのに、どうもその時の俺は「疎外感」を覚えていた。
そして俺は、どうも腕時計というものに苦手意識を持っている。腕が重たくなるということが耐えられない。気づいたら外している。そして無くしたのは1個目のG shock、というか祖母が懸賞で当てたBaby Gだ。
あれはもう、どのタイミングで無くしたのかも覚えていない。
酒が飲める年齢になってからも腕時計を外す癖は治らず、大学生になってからもG shockを無くした。無くしてから数日経って気づいた。今となってはどのタイミングで無くしたのかもわからない。酒と共にどこかに流したのか、それともうっすら覚えているのはバンドのスタジオ練習だ。あれの時に外したことだけはなんだかうっすら覚えているのだが…どうも今も納得がいかない。やはり向いてないんだと感じ、Apple Watchをはじめ、どれだけ金を持っても高級時計などを買うことはないだろう。
恋人や家族に時計をプレゼントされても、俺はほぼ腕にはつけないだろう。それが俺の「物と思い出」の守り方だ。
無くしたものといえば、記憶に関しても枚挙に暇がない。それが辛い思い出であればよかったものの、大抵楽しいことばかりが、脳の処理能力を止めて行く。
想い出に注がれる愛情も存在するはずなのに、どうしてこうも俺は、俺のカルマは残酷に降りかかるのだろう。
お気に入りのキャップを無くしたのは確かにここの店を訪れたあとだったが、あの歓喜によって俺はその運命を受け入れざるを得なかったのだろうか。
こ、
こ、これは!?!?!?
記憶をなくしても忘れることはできない、思い出の味はおそらく身体で覚えている。
しょっぱくて濃くてニンニクなカレーのことだ。
パクッとやれば嗚呼…痺れる。当然ながら味覚として痺れる要素はない。だが俺の細胞は覚えている。これはシビれる味なのだ。
最高か。
おまけに回数券もまだ残っている。金を落とさないという選択肢はないと考えれば当然110円積むしかないのだ。
お肉たっぷりなカレーって…うれしーよね。
ニンニクぶちまけて食えばもう最高!これはもうブチ上がっちゃっても仕方ない!!マジ最高。俺は水を飲むことすらやめたくなる血中塩分濃度を愛してやるよ!
サクッと完食軽く会釈して退店。
まあなんかキャップ…どっかにありそうだな、なんて思いながらも。
なくしたものを取り戻しに行く、ってのが俺の2021年のテーマだな、ってちょっと思ってる。
何をとは言わないけど、あれを見たせいだと思う。