旅行を飯として食ってるなら、都会の人間は田舎への幻想を抱きすぎだ。
昨日も書いたが、地方は東京を舐め過ぎているとも言える。
私が田舎出身者だからこその指摘だ。
地方に行けばやはり何かしらの名物というものが存在し、それの知名度が上がるにつれて、地方の格付けも高くなるというか。単純に言えば人口が多けりゃ声もでかくなるだけなのかもしれんが。
ラーメンなんかは特にだ。
特色というものの持つ強みは「そこにしかない」ということが強みなわけではない。そこに元祖が生まれ、競争が始まり、人に愛され、それに真摯に応え進化してきたものだからこそ進化していく。まあそうならば地方の方がエリアも小さく、集中した進化が見られるのは当然か。
では、東京とは一体なんなのだろうか。
東京ラーメンと言われて何が思いつくかと言えば。ここの読者であればやはりラーメン二郎にたどり着くのだろうが。
ラーメンという多種多様なあり方が認められるようなものにおいて、あまりにも多くの選択肢が生まれ過ぎた。「東京ラーメン」を名乗っているものは明らかにパンチが足りないし、東池袋大勝軒の流れも丸長のれん会もそんな言葉に拘っていない(そもそも丸長のれん会は長野にルーツがある)。
がんこはどうか。がんこも拘っちゃいないな。中本なんかも東京のくくりに入るものではない。
家系は思いっきり「横浜」の冠がついている。
少し考えてみると、東京というのは「東京、そしてそれ以外」という二元論的視点で物を見ているのではないか。あまり地方性にこだわることがなく、逆に地方にその地方性をこだわらせることになっているのは東京の態度なのかもしれない。
そんなことをふと思いつつも、「地方からの逆襲」みたいなものにはドキドキさせられる。ただ、思った以上に人間のアンテナの指向性は多様で、一筋縄でいかない社会が形成されているのだなとも感じるのだ。
全ての人間に理解させる。なんて難しいことだろうか。俺は俺自身を理解してくれる人が一握りいればいいと思ってしまう。
地方の誇りと、東京の奥深さ。
北海道、沖縄という名物だらけの島から都会への移住。
都会の周縁の発達へ目を向けずに生きてきた俺への戒めを込めて。
叱ってくれ、ピン子。チャーシューでビンタぶちかましてくれ。
こ、
こ、これは!?!?!?
チャーシューメン肉増しとはいかなるものか。などと思いながら食券ポチポチして並んでたものだが
まさかこんなブツ出てくると思わんだろ。やば過ぎか。
厨房を見ていればどうやら味濃い目とか脂多めとか麺固めとかなんでもやってもらえる雰囲気。
ズルッとやれば鳴呼…思ってた以上にクラシックでケミったブツ…結構好きなブツ。麺は時代が時代ならテレビでツルシコ(死語)とか言われてそうな感じ。
これは福島の方へと繋がっていく個性だろうか。
そしてチャーシュー…肩ロース、バラ、モモ…だろうか。間違っているかもしれんが。
もう全部うめえ…辛いの乗っけてコメ食いたかった。
なんでコメ食ってねえのかって?それは明日のお楽しみだ。
堪能した。今度は餃子食いてえなあ。
サクッと完食軽く会釈して退店。
その後、寂しくなって友達に電話をしてみたら、駅前に謎のレンタカー。
お、おまえは!?!?!?
続く