なんというか真面目な話をし始めたら天変地異が起こって、だ。
タイムスリップしたと思ったら時空警察に捕まってサンタモニカにぶっ飛んでたとしたらどうする。
真面目な人が破天荒なことをし始めるよりも、だらしない人が真面目になるほうが怖い気がしているのは気のせいでしょうか。
そもそもの話何が真面目か不真面目か、という定義すらも曖昧な状態でこんな話するべきじゃないのである。
正直者が馬鹿を見る、というか、なんかバカ真面目にルールを守っている人間が馬鹿を見る瞬間がある。そんな気がしている。
ルールというよりも暗黙の了解によって定められた慣習に過ぎないことも多々あるんだけど、どうも一人そのルールをぶち壊した瞬間から何かが音を立てて崩れる気はしている。
例えば。例えばの話だ。政治家によって世間相手に定められた悪法があったとしよう。
そういうものによって我々が生活の不自由を感じ、その政治を司る者が明らかに恩恵を受ける、もしくは「偏見によって様々なことに制限をかけられている」ならば、何かこれをぶっ倒すときにスカッとする思いが生まれるのかもしれない。
だが…大抵のルールは、そのルールが敷かれる理由を以って生まれている。
そのことをきちんとご理解いただきたい。
以下は完全に俺の見解である。
「合流待ち」の問題点について。
例えば地方都市に行くと、よく整理券発券機が置いてあって。それのボタンを押して紙を受け取り、書かれた時間に行けばそのまま席につけるという寸法である。
非常に合理的でかつ分かりやすい。誰もが苦心しないで並ぶことができる。
これは何故整理券制が導入できるかというと、ほとんどの座席が「ボックス」化して、集団もしくは個人の空間が守られることによるわけだ。
例えば、地方のハンバーグ屋。整理券発券機が置かれている。人数を指定してボタンを押せば、番号が書かれた紙が出てくる。指定の時間に到着し、待ち、1集団丸ごと空いたボックス席に入店する。
これなら何の文句もない。町の定食屋の昼時のように相席にされる可能性はまずない。気まずい思いをする必要もない。
だが、都内のような狭い土地に構えた混雑店ならどうだろう。当然ボックス席などあるわけもなく、集団で訪問しても全員が並んで座れる確証もない。例えばこのクソ寒い中、しっかりと人数揃って入店できそうな計算をしているときに、前に並んでいる客が「ここ取っときました」なんて我が物顔で入ってきた日には、寒空で待つ時間が20分ほど増えることになる。
しっかりと人数を揃えて並んでいる人間がバカを見る。それは個人的な感情において許し難い暴挙だ。
そして…店の入り口に「合流禁止」の貼紙が掲示されていたらどうだろうか。
あなたはどうするだろうか。
例えば「喧嘩っ早そうなアニキ」がそれをやっても指摘できるだろうか。性格の悪そうな老人がそれをやっても指摘できるだろうか。
じゃあ車椅子が必要だったり、並ぶことが出来ないお客はどうするか。
簡単なことだ。
代表待ちをする人間が、並ぶ前に店側に丁寧に説明をすればいい。
誰も文句を言わないし、並んでるこっちとしても事情は察する。
店側にもそれを受け入れるくらいの度量は持っておくべきだ。
なかなか難しい問題なんだろう。先のJRの件だって、それを対応すべきスキル講習などを受けた一人もいなかったことがまず問題だ。
「事情あり」の場合はまず相談。
報告・連絡・相談。絶対に必要なことである。
トイレに行くときも一緒。前、もしくは後ろに並んでいる人間に一言言えばいいだけの話だ。
そんなことを考えながらも、俺はいつもの味噌っ子ルーティンに従ってボタンをポチポチすりゃあ何となく気持ちも落ち着いたのであった。
こ、
こ、これは!?!?!?
ハイパー味噌っ子ルーティンを限定一回でぶっ飛ばして戻ってきました!やっぱり坦々麺のビジュアルはたまらんものがある。
そんでもって坦々麺が出てくるまでちゃーしゅーめしを我慢するなんて不可能です。
私は爪楊枝を一つ浪費してチマチマと摘んでしまう我慢できない男。
ズルッとやれば嗚呼…最高すぎないか。
ベースでさえ既にただの味噌ラーメンから完全に逸脱したポタージュ具合なのに、様々な具材に加えて散りばめられた痺れ要素がまた完璧な具合で刺激を与えてくれる。
AJTMAZMSぶち割れば今日も最高得点更新!本当です◎!!
当然最後はお酢プレイして堪能した。
サクッと完食当然 #完飲制倶楽部 ゴクゴクブチカマしフィニッシュムーブ深々と会釈して退店。
麗かな春の光を浴びながら俺は水道橋で白湯を飲みまくった。
いい1日だったな。
慎ましくマナーを学び、守りましょう。