この時期、本当に楽しみにしているものがあります。
本当に待ち遠しいものでございました。
なんというか、時の流れというのはこういうもののためにあり、情緒ある季節、風情というものに我々は心の底から感謝せねばならないなと思わされるのであります。
書を捨てよ街を出よう、などと言われずに私は書をiPhoneに入れて公園へ出かける。武蔵野の端に根付く水源の森、湧き出る水はポンプのように一定で(これ皮肉な)あり、そのせせらぎは小川となりて海に向かう。
小川は遊歩道という概念を生み出し、我々を海は向けて文明へと導いていく。道端には木陰がなくとも我々がベンチで太陽のお恵みを躊躇なく身体に受けることを選べるのも、この季節のなす情緒というものである。
私は春色のお尻に出会いました。ようやくだ。
ここ数年のトレンドとしてやはり春はなんというか春色のスカートをお召しになる女性が多くいらっしゃるわけである。
そんな君が公園のベンチで本を読む。僕は君の故郷のことすらも想像(妄・想)がつく。眠たそうな顔をしながら猫のような仕草を見せることすらも想像できる。
彼氏と共に珈琲屋から出てくる貴方の顔を眺めながら、いいなぁ、と指を咥え(る素振りをする。感染対策。)て嫉妬と共に熱くはならずにただただ温い思いを胸に抱く。
短い春と共に去っていくピンク色のスカートの淑女たちよ。外出を自粛せよ。
数字はまやかしであり罹患者実数はおそらく10倍だ。数百単位の数字がごまかされ、我々は100〜200程度の数字しか見ることを許されないのだ。
風刺画程度で声高らかに「ファンやめます」などと言わず、離れていくときは静かにだ。20世紀少年を読んでいればまずそんなことを言うファンはいない。そのファンは全ては幻だ。Twitterを閉じろ。金をくれるファンは決して減らない。
そして熱が続かなければ基本的には検査なし。ぶっちゃけみんな熱上がったり下がったりしてるでしょ。陽性患者と濃厚接触がなければ検査なし、肺炎のやばいフェーズまでたどり着かねば検査なし、既に都内の病床は満室だ。
不安と戦いながらも俺は家を出て誰とも会わず散歩をして帰るつもりだったのに。どうしてか俺は吉祥寺を出発し神田川沿いに久我山まで歩き、志村けんとすれ違った思い出の地を訪ねては玉川上水を上って三鷹にたどり着き、オオゼキに入って丸鶏なんか買ってしまったのだろう。
思えば先週も散歩と言いながらオオゼキに入った。三鷹にあんな優秀なスーパーがあるのことがいけないのである。
予めことわっておく。今回も自画自賛の嵐である。
こ、
こ、これは!?!?!?
雪降る朝のブランチをご覧いただこう。
前日に食べたとしおかの新塩風…それをやれば当然べんてん・としおかの塩風もやらざるを得ないだろうが!
熱したサラダ油をぶっかける代わりに鶏油を除き、ネギと生姜を天辺に添えてジュッ、とやったときの感動たるや。
コンロ一口でカセットコンロ併用など本当によくやる、と自分で自画自賛してしまう。
マルちゃん山岸麺(赤)をズルッとやれば嗚呼…美味え。
コラーゲン質を足してないではあるが、熱した油の香り(生姜とネギ感若干あったがもはやただの油香)と魚介の香りが最高に気持ち良い。
濃い薄いあったら言ってください は、自分で言う。カエシ足して最高のコンディションに整えたスープはとても心強い味方だった。
サクッと完食止むを得ず#完飲制倶楽部 ブチカマしフィニッシュから即ムーブシンクのお片付けを済ませ雪降る郊外を散歩。
15分で疲れて帰ってきた。
なんだかんだしているうちに夜はまた発熱。なんかこれマジでやばいなと思い始めたのはこの頃であった。
春色のお尻が必要だったかもしれん。
マジキメェな今日の文章。
マスク無駄 糞の粉撒く 春の風