「出逢いに感謝」って言葉は世界で一番胡散臭くて軽薄でどうしようもない響きなので、本当に嫌だなと思っているんですけど
本心としてはまあ感謝しているわけで。
ここんとこが僕の面倒臭さなんですよね。
本当は嫌どころかもう、「そういうことを言わない人」を上手いこと引き当てて来れた人生には感謝しかない。神に感謝。神の御加護を。
さまざまな出会いに恵まれている。全くゼロからインスタで、みたいなのも実は大当たりがあり、親交を深めることができた例もいくつもあった。
なぜか札幌の人と仲良くなりがちなのは面白い。まあしかし一番安心できるパターンは「友達の友達」で、たいがいバイブスも合うし価値観も合うし、自分で言うのをは憚れるのだが、こんだけ面倒臭い俺を受け入れてくれる心の広い人が多いのだ。
改めて、仏教における縁起的なものを受け入れざるを得ない。本質はこの関係性にこそ宿るのではないか、とすら思うのだ。
ラーメン二郎を食っていれば友達ができるし、なんか界隈に首突っ込むことになるし、居心地わりーとかいいながら別の界隈に属するか自分でなんか上手いこと地場形成ができてしまう例もある。
「オフ会」というのは社会学のいち研究対象になりうるレベルの現象だ。なぜか俺も名札が腐れラーメンインスタグラマーとなってしまっているから、その手のものが好きな人と出会えば話が早い。飯を食って楽しむつもりが、飯がツールになっている。
これはラーメンという食事の本質を失っているのでは、とも思われがちだが、宇宙から見たら些細なことだ。ラーメン写真で遊びすぎている奴は軽蔑に値するしそれを助長させているラーメン屋もどうかと思う、とか言ってるうちは、宇宙の真理には到達できん。何のことかは言わん。
あえてスタンツブランツヒップホップのスタンスでルネッサンスを起こす世田谷と調布の潮目にピースしているうちは、そんなものに興味を持たない人と繋がることが許されるのである。
こ、
こ、これは!?!?!?
仕事を終え、家路に着く。道中にあの深い谷底を覗いて仕舞えば、漆黒なる深淵も覗きたくなるもの。
どれ…今日は黒いぞ!
麺引っ張り出してズルっとやれば嗚呼…こ、これは塩分底上げを高らかに宣言する一杯なのか。それとも悪魔の悪戯か。いや、ただの事故か。
お出汁の芳醇な香りはまだしも、こんなにも食いごたえのあるひと啜り目を食ったことが今までにあっただろうか!いや、ない。
覚醒したのでは。
それともまたこれは小ラーメンというラーメン二郎の本質か。
余計なことを考えるだけで手が止まり反芻せざるを得ないッッ!!
ブタさんは全部硬めのパサ。脂身付きが嬉CYなのが一個。
逆に食いごたえ抜群。
堪能した…昼もたくさん食べたしな。
サクッと完食フィニッシュムーブ軽く会釈して退店。
食後、思ってもいなかった人から「仙川行こう」とか誘いがあった。
これだからラーメン二郎はやめられない。
しかし、遠くからわざわざ仙川まで食いにくる人を見たことがない。
俺はそういう変態との出会いを待っている。