ラーメン二郎 環七新新代田店 『小ブタ 玉ねぎ いいたまご かつお節』
あるある言いたい
小生は地雷
一人称の話である。
現代日本、誤解なきようにいうと私が住んでいる東京都において一人称はおおよそ私、俺、僕である。界隈によってはワイ、ウチ、ワシ、自分などが挙げられる。それ以外を使っている人がいれば教えて欲しい。
小生使いは地雷である。これは経験者が言うのだから間違いない。今や見ればイラッとするレベルに他人事となった。
文化というのはそこにあるべきものとして存在を認めるべきもので、あれがなんだどうしたと異議を唱えるとそれはたちまち差別になる。
これは皮肉でもなんでもなく当然のことで、文化の多様性は守られてこそ人はときめきを得られる。
文化や人種の弾圧を好むものは完全に頭こじらせちゃったバッドエンド人間であり、今すぐその界隈から手を引くべきである。むしろあなたの悩みや人生について、俺で良ければ聞かせて欲しい。
ただし一人称が固有名詞。自分の名前もしくはあだ名。これだけは本当に慣れない。この風習が強く残るのは沖縄の女性である。これに関しては幼稚さの現れとかそういうもので片付けていいものではなく、半分くらいの女性がこの傾向にあり、立派な文化として成り立っていると言える。
言語学・社会学的な研究資料についてはみたことがないが、この「一人称が個人名」について幾つか考察できることがある。
「個人をアイデンティファイするものである。」と。これを裏付ける仮説として俺は「大家族」、「親戚の多さ」、ならびに「姓名のバリエーション」が挙げられる。
というわけだ。これ以上は語るのも難しいくらいに疲れている。なんかもやついているんである、最近は。
目覚めも遅くどうにもがんこには足が向かず。その上に遠出する気も起きない。越谷くいてえ、なんて思ったりもしたがまあブレの範疇。
久々のここで整えようと思ったのである。
こ、これは!?!?!?
割と並んでたが地味に回転早いよな…麺量少ないし少なめコールも飛び交っているからか。
ズルっとやれば嗚呼…いい…いいよ…最高だ!!うめえ。
天地返して玉ねぎ沈めてああだこうだやってたが底だまりのカエシと上からぶっかけた分で一気にブースト。
しょっぺえ…やべえよ悪魔ラーメンクラスだぜ…ヤサイ増すし玉ねぎ入れるから水分出るかと思いきや最後までブレずしょっぱめ。
豚と極太ブルンブルン麺が塩分をイーグルグリップ(鷲掴み)して離さねえ。
おまけにこれだ。鰹節。旨味とともに塩分を感じてしまうブツ…うますぎる…はっ、、、カツオラーメンもやっぱり塩分がここから…
生玉子潜らせていい塩梅だ。大盛りにしたら死んでたか、塩分がちょうどよかったかのどっちかだな。
サクッと完食フィニッシュムーブ軽く会釈して退店。
帰りは永福まで歩いた。
世田谷ほんといいとこ多いな、って思いながら。