目が覚めたら警報機が鳴っている人生
と
スヤスヤ寝ていることができる人生なら、俺はけたたましいサイレンの鳴る人生を選ぶ。
とか言ってたのが多分26歳くらいまでの俺であり、今やそんな人生はマジで勘弁である。
30過ぎて自分の願いとは逆行している。
早く結婚して首輪を嵌められなければ私は死ぬ。多分死ぬ。
19の時に札幌の定食屋で、求めもしないのに手相を見られ
「あなたは早死にするね」と言われたのを私はトラウマとして…ってこれ、最近書いたな。
私はクラフトロックサーキットにてユーリガガーン、国府達矢、ならびにスキルキルスのライブを観た。それはもう、ブチ上がった。
完飲制倶楽部の成すところ、スキルキルスのライブ中にパンクIPAを大きいサイズで2杯飲んだ。極めてブチ上がり、前後不覚になっていた模様である。
その後SEATAに行った記憶ももはやビミョーである。
22時半過ぎに私は床についていたらしい。吉祥寺であれば帰巣本能が働くのは素晴らしいことである。1時間ほど遅れて後輩もベロベロで帰ってきたようだ。そのまま布団と敷かずに寝たようだ。
そして、電熱器にかかった鍋にも気づかなかったようである。
けたたましく警報機が鳴ったのが何時かも覚えていない。
鳴った警報機を止めてダッシュで走り電熱線から鍋を下ろして換気扇を回した。
窓も全開ドアも全開に私は、嗚呼、俺の味玉と悪魔肉が…と、一声あげてまた寝た。寝てしまった。あまりにも疲れていた。
7時に起きたタイミングではまだ部屋が煙たかったのを覚えている。チンタラチンタラ寝ては起きてを繰り返し過ごしていた。
私はその時…まだ部屋の惨状に気づいていなかった。
昼に起きた時にはもう部屋中すっかり炭臭くなっており、私はゲェー!!とか言いながら後輩に「お前何で気づかねーんだよ!」とかふざけたことを言いながらも部屋の換気、洗濯物の再洗濯などをして己の人生を呪った。
当然ながらまだ酔っており、そんな状態でスタジオに行き、死にたいとかほざきながらギターを弾き、出ない声を振り絞って時間を無駄にした。
楽しかった夜の代償はでか過ぎた。
あまりにも辛くて俺はなんかさっぱりしたものを食いたくなったのである。
電車に乗って目の前に立ちはだかるイチャイチャレズカップル。平静を装い俺は百合の花に嫉妬する想いであった。平成最後の日曜日…は、まだである。
こ、
こ、これは!?!?!?
さっぱりしたものが食いたいとか言いながら選んだのこれかよ…と、自分でも呆れてしまう。肝臓の回復には良質なタンパク質と考えれば、この量の豚は当然の選択である。
せやかてジョニー、ざるラーメンやで?
と思って対峙したが矢張りこの麺量…初っ端からつけ汁ディップで食えばうーん、気分は盛り上がるね。うん。
減らないブタも矢張り最高だ…俺これがたらふく食える人生って本当に幸せ。鍋底でタダの炭と化した悪魔肉のことを思い出して終わって仕舞った。
当然ながら最後の方は油膜が固まったがまあブレの範疇。スープ割りお願いすれば一気にケモノ臭さが高まるこの感じを美味いとしてしまうこと、俺は全く否定できないね。
サクッと完食当然完飲制倶楽部ブチカマしてフィニッシュムーブ軽く会釈して退店!!
帰りに高円寺で降りれば魔ゼルな規犬がいてブチ上がったりしたが、夜までテンション続かず。
TBHRを語るラジオ番組でもテンション低めで進めてしまった感じは否めないがまあブレの範疇。
俺ほんとにGWで死ぬんじゃねえかな。