恩を仇で返す
人生において確実に、経験することだろう。
あるよね、あるある。そう言い聞かせて安心するわけではないけども、どうしたってそういうことからは逃れられないのが人生だ。
そもそも人は身体を独立させて生きている。身体というものを壁として、意識の境界を視認している。独立した個人は動いており、その境界を溶かすことなく、個々の人生を送る。
そうして人は他者の存在も認めていくことになる。
認めていくことになるはずだ。
この一文において存在論と認識論への言及はない。あくまで存在論を前提とした論を展開していく。
人はコミュニティを形成する。人が二人集まればそれは最小単位となる。家族、学級やその中での集団形成、恋人同士、会社など。そこには社会が形成され、その構造にはどれも似たような傾向を持つ。
人間は、他者に依存する傾向がある。その他者とは、者に限らず物の可能性も十分にある。
そうして依存した「モノ」を共有する者同士が心通じ合わせることがあり、私は、よりそのコミュニティに依存した存在となっていることを実感している。自身の拠り所を強く意識するようになったのは、東京に来てからか、それとも生まれたときからそうだったのか。北海道という土地において共通の趣味を完全に共有できなかった経験が、今の自分をそうさせているのかもしれない。
俺、原付に乗って旅に出た。100キロくらいガッツリ走って帰るべきだったのかもしれないが、俺は雨にやられた。あの時期の北海道は完全に梅雨だったのだ。
赤い看板を見つけて我慢できなくなった俺。俺は山岡家おじさんにした連絡への返事を待たないまま、自動ドアの前に立ってしまったのであった。
こ、
こ、これは!?!?!?
数日前に某LINEグループで「辛味噌経験の有無」について盛り上がったことは、俺を止めることができなかった。
鮮やかな油面が俺を後悔させなかったのである。
ズルっとやれば嗚呼…想像通りの味だ。ネギと合わせてズルっとやれば嗚呼…想像通りの味だ。
北海道に帰ってきたことを実感するぜ。
ご飯足りねえな、とか思いながらニンニクぶち込んだりして堪能した。
サクッと完食軽く会釈して退店。
その後も雨に降られながら帰宅した。帰宅したタイミングで高崎中本おじさんからLINEが来たのを確認。
俺はいたたまれなくなり…クーポンを使ったふりをしながら「後日使えればいいや」などと思っていた。
その後は行かなかった。
俺は今、メルマガ会員となっている。
おじさんごめんなさい