人の数だけドラマはある
そう思っている。
ドラマをドラマらしくするのは環境、己の意思と趣向である。
ぶっちゃけてしまうと、自分の意思だけではどうにもならない。運の要素もかなりあるし、生まれながらにしてある程度は決まっている。その運命がお気に召さなければ何かアクションをし、言うなれば出来上がった構造から新たな構造に移行する必要がある。なんか書きたいことがよくわからず久々に「構造」とか言ってるからタチが悪い。
どうにも、居心地の悪い構造に身を置いているつもりが、そうではないことも多々あるようだ。
あれ…この書き出し2回目じゃね?
まあいいか。
人に歴史あり、ということはそれだけ語るべき事実があるということ。それまでの間に通過してきた無数のポイントがある。構造の中で構造から構造に移り、何か物語のようなものを形成してきた。それを語るだけで人は小説が書ける。
あの人たちはどのような人生を送ってきたのだろうか。
事実は小説より奇なり、みたいなことはもう人類の歴史上で何度言われてきたことかわからない。何か事故が起こるたびに事実は、なんて言いがちだが、さすがに「事実はサウスパークよりも奇なり」となってしまうともはや笑うこともできずに我々はただ「絶望」する。絶望とは「絶望のような状況」の際にもよく使用されるわけだが、これは比喩のようなものではなく文字通り「絶望」である。もはや核戦争後の世界と変わらない。
そんなあの子はダイヤモンドプリンセス。
我々は常に湧き出る泥水に蓋をせずただかき出している光景をよく目にする。あれだ。
自分の中にある「ラーメン食いてえ」という気持ちをかき出してもその根源が消えてなくならないように。
塞き止める土嚢を手に入れられずに彷徨う俺は、さらにその湧き出る泥水を汲み上げるポンプの如きラーメン官僚と巨漢大学生(余命1ヶ月半)を呼び出してバカ田に降り立ったのである。
集まった人間は全員学生生活を2年余分に過ごしており、なんというか「生き方とは」なんて話をしたようなしていないような。
こ、
こ、これは!?!?!?
お久しぶりです私のマイオンリーつけ麺。最高の時間をくれる貴方は口紅をさすだけでこれほどまでに素敵な世界を見せてくれるのね。
ラーメン官僚さんありがとうございます。
とかいいながらまずは素の麺をズルッとやれば嗚呼…冷たくて香り高くて美味しい。メンマ併せて食えば流石の味わいだ。
辛味溶かしズルっとやれば嗚呼…嗚呼じゃねえ完全にキマった。
この組み合わせ美味すぎる…
卵黄ブチ割って粘度倍増。チャーシューにもつけてさ…やっぱそういうの楽しみたいよね…とかぶつぶつ言いながらアレしていれば一気に麺が消えていく。
#わったぜ ブチカマしてそのありがたみを感じればもはや何も要らねえ。
スープ割のタイミングも空気読んでアレして良いお手前で、などと抜かしながらすすり切って堪能した。
サクッと#完飲制倶楽部 ブチカマしフィニッシュムーブ軽く会釈して退店。
一馬身遅れて出てきた巨漢大学生(余命1ヶ月半→奇跡の生還予定)を迎えて帰宅。
バンドのリハにてメンマに嫉妬したドラマーにバチで殴り殺されて無事死亡。
としおか食いてえ