スタミナ満点ラーメンすず鬼 『辛いスタ満ソバ ライス 生玉子』
年の瀬あるある
ユニコーンを聴く
あるよね…ある。ある人とは心の奥底から通じ合える気がしている。
雪が降る町〜与える男〜すばらしい日々。なんだかこの流れは世間の忙しなさへの抵抗と、本当に年末になるとみな落ち着いて穏やかになっていく気持ちの現れなのでは無いか。
なんというか、ゆったりとした時間が流れていくような感覚と、周囲に漂う焦りのような空気を感じ取っているのは、単純に年の瀬がどうのこうのよりももっと大切なものがある気がするんだが。
人々は気づかないフリをするか、ただただ本当に気づけないだけなのか。俺は一体何を目的として生きているのか、わからないという感覚に陥っている。
「何を目的として生きているのか」を放棄した瞬間にもはや人生は終わっていて、「何を目的として生きているのか」を考えたことがない人の幸せについても考えたほうがいい気がしている。
なんのために生きているのだろうか。社会的な存在として全うするだけでは、己の実存を抱きしめることはできない。己の実存とは何で、そしてその実存は社会的存在とは繋がらないのだろうか。
そんなことを考えていると、やっぱり好き放題書いているこの文章が皆さんにウケていると勘違いしていれば、実存と世界に充足感が得られる気がしている。
何が言いたいかというと、この日は忙しくて味噌っ子になれなかったのである。
たとえば「忙しくてラーメンが食べられない」は、どのレベルのものなのか。本当に仕事が忙しいのか、それとも精神的な余裕がないのか。それともボキャブラリーがないのか。
私はボキャブラリーを持ち合わせてしまった。ラーメンを食わずに帰ろう、という気持ちも確かにあるのだが、私は不幸にも中央線通勤快速に乗っていた。
自分の人生とはそういうものなのだ。そう思い自問自答することをやめたら人生は終わりだ。
こ、これは!?!?!?
「珍しいじゃないですか、短いスパンで訪問なんて」
そんなラヲタの声が聞こえてくる。
無視して俺は辛いのを頼んだ。ライスは当然普通サイズだ。
当然のことだが、背脂というものは美味しい。
それを摘んで天地返してズルっとやれば嗚呼…辛い…けど、辛いのいらないな…
お醤油主体のスープはやはりコクとか甘味といったものは感じられず。やはり野菜炒めを食う店か。麺は美味いんだがな…ハードパンチャーとは言いようがない。
しかしながらアブラご飯。これだよこれ…これのためだけにアブラマシって言うよね。言うよ。美味すぎ。前回より圧倒的にアブラ少なかったから次は多めなどと言ってみようか。
生玉子使う前に麺食い切ってしまいそうになったがなんとかアレした。
サクッと完食フィニッシュムーブ軽く会釈して退店。
これは個人の好みとブレが出るとは思うが、辛くないほうがいいし、具マシは必須。
次は大盛りだな。
大盛りの次は蒲田です◎!