ラーメンの具材、究極の選択
野菜を多めにするか否か、それとも取り除くか。
これ、何回も書いてきているはずである。
俺はもう、野菜の必要性を感じていない。
ラーメン二郎で陥りがちなアレは、無料のヤサイ多めはもらっておけ、という貧乏性的思考である。
これは…悪くない。俺もそういう考えの人間だ。店のご厚意には甘えるべきであり、盛るのが大好きな店ではひたすらに盛られる感動というものがある。通えば通うほど盛られる。ラーメン二郎の某店なんかは間違いなくその恩恵を得られるものである。
ヤサイ…それは、雑食性動物である人間(科学的な根拠や「実は人間は〜」といった反論はここではガン無視)にとって必要不可欠なものだ。
ラーメンの具材としての野菜はもやし、キャベツ、更にタンメンでは玉ねぎや人参の切れ端が混ざっていることもある。これは極めて安価な上、客の腹を満たすにはもってこいのブツである。
だがしかし…その野菜からにじみ出る水分。それは、スープの濃度を著しく下げることもある。
特にシャキシャキの野菜になればなおさらだ。サクッと湯通ししたり煮たりしている野菜には、それはそれは十分と言えるほどの水分が含まれている。
ラーメンの自作をし始めてわかる、自分の手で仕上げたスープの愛おしさ。
立体にどれくらいの材料を入れればどれくらいの味が出るか。それは果てしない研究の末に導かれるもので、こんなコロナ騒ぎが始まってからこだわり始めた我々ラーメンギーク()の安易な研究では、たかが知れている結果しか導き出されない。
高級な食材を使う者もいるだろう。しかし料理人打った人間は当然ながら”RAMEN-DO”の無料配信を喜び、田中さんの顔がフラッシュバックするほど見つめて見れば、「どこにでも売っている具材を如何にして美味しくいただくか」、それこそが目標となる。
ソレに加えて、東村高江ですすった廃鶏汁のあの美味さを思い出した。丸鶏を煮込み、香味野菜、根菜で煮込んだスープ。ボディーの強さを際立たせるために俺は豚バラ軟骨からコラーゲンを摂取する。
味の立方体の要素を足し引き…いや、まだ引き算の境地には至っていない。暴力的なスープを作り出すことが一つの目的としていた。
更に動物性油脂を浮かべる。決して冷めることのない液体を作り出す。惰性と言われようとも、ベルの缶スープのストックが俺の手を助けてくれる。
自分でスープを炊くことの意義を問い正す。俺は、ただただ自分が美味いと思う、自分の家庭の味を突き詰めて行くことの楽しみを感じ始めた。
料理のプロになるつもりはない。自分を喜ばせるためのプロになることを選んだのである。
こ、
こ、これは!?!?!?
矢張り味噌ラーメンには油膜が必要だ。俺、この時点で勝利を確信した。
煮豚は肩ロース。その上にはチューブではあるが生姜を載せて、だ。
なんかもう味玉はテキトーに作ったら全然美味しくなかった。
麺リフトすればキリヲミストがブフアアアアアアアアア!!俺、自分で作った霧で顔をアレするとは思わなんだ。
ズルっとやれば嗚呼…美味え。美味すぎる。ベルの缶スープ、本当に優秀だ。麺は山岸の緑…緑本当に美味しくないんだけど、まぁスープでごまかせたのはブレの範疇。
最後は桃屋刻みニンニクで完成だ。
サクッと完食完飲回避でフィニッシュムーブ軽くお片付けして終了。
と、いうわけでヤサイ買うのも面倒だし、炒めるにゃ火力が足りないのでヤサイ割愛。
自分の味との戦いは続く。
製麺機を貸してくださる救世主が現れたが…受け取りはいつになるか。
それまでしばらくマルちゃんつけ麺用(山岸麺赤)との付き合いだぜ…