パンクはバカの免罪符じゃない
戦い、苦悩する人間に与えられる勲章だ
と、いう日本語的な「Punk」の解釈をどーしても、どーしても言っておきたくなった。
何も格好つけているわけではない。格好悪い奴が格好つけている様にケチをつけているだけの話。頭のおかしい、いや、いい意味で頭のおかしい人もいるからこそそういう人を守りたいと思うわけで、俺の口からは「バカは失せろ」という言葉しか出てこなくなってしまった。
俺は凄くいい学びを得たことがある。「腕力がある人間はヤンキーになり、腕力のない人間はパンクスになる」だ。この事実は、この世の真実として教科書に載せる必要がある。
腕力があればなんだかんだで生きていけるが、パンクスはそうはいかなかった。倉庫で隠れてシンナーを吸って「ノーフューチャー」と言いながらライブハウスだけが自分の輝ける場所だと思っていた。
のが、今までのパンクスだった。
腕力がない代わりに本を読み、知を身につけ、世界がどれだけクソなものかを学んではノーフューチャーと嘆き散らした。
のが、今までのパンクスだった。
現代においてはそのあり方も変わった。不良という存在はヒップホップに吸収され、内気な青年たちは家に閉じこもりSNSに吸収された。「こうすれば世の中をうまく渡っていける。自分の存在を振りかざすことができる」という学びはとてもパンクだったはずだが、どうしてか現在のパンクは「今の枠組みの中でこう頑張れば何とか勝てる」という、とても狭い生き方を強いられているように見える。
側から見れば何かに抵抗することも無くなり、勝っているようで負け、負けているようで勝つ。そんなクソみたいな状況の中、もはやアティテュードという概念は形骸化してしまった。あまりにも人の生き方が多様化しすぎて、大きな枠組みが崩れてしまった。そこにいた人すらもがそこから外れてしまった。
だからこそ今一度、自分の中の属性と、そこをアレンジした脱構築をする機会を手に入れたい。自覚をしたい。自己分析を行いたい。
とても丁寧で物腰柔らかく、良い人だったとしても、どこか差別的な意識に気づいていなかったりする人もいる。自分の中にある差別心について無自覚なことこそが、真の意味の「差別」である。
何でこんなに怒っているかというと。
政治家っていう肩書を持っているから政治家として敬われるわけじゃないんですよ。敬われるような人間でいてほしい。切実。
そんでもってラーメン屋さんにもね、食後にダラダラする輩を追い出すくらいの権利は持っていてもいいと思うんですよ(飛躍)
こ、
こ、これは!?!?!?
久々の千代田区飯。憂いの外神田ではなく救いの内神田。
俺は濃いめの汁がいい
あぶらは多けりゃそれでいい。
麺はまあなんか普通くらいがいい。だから普通って何じゃい!
ズルッとやれば嗚呼…相変わらず美味え。時間帯によって云々っていう都市伝説あるけど全然ノープロブレムよ。しょっぱくて適度にオイリーで美味い!
チャーシューを食うためには当然ライスが必要だ。ハァハァ言いながらチャーシューをオンザライスしてニンニク乗せて食ったら最高な気分。
海苔で巻くのは麺とライスだよ。
堪能した!千代田区家系ラーメン戦争、どうなるんだろうな。
サクッと完食フィニッシュムーブ軽く会釈して退店。
などと言いながらも色々思い出してブチギレそうになりながら神田を横断。
ビール飲んでクールダウンした。
禁酒法施行される前に飲んでおく、じゃなくて文句を言うんだよ!!
いい子してんじゃねえ