プロレスを八百長だと馬鹿にする者は
きっとドラクエもファイナルファンタジーもプレイしてこなかっただろう。
ちなみに俺はドラクエをやったことやったことがない。
FFは4を腐るほどやって、あとは8を途中までやっただけ。
プロレスへの芽生えというのは様々な道筋があって。俺の世代といえば何度も言ってきたとおり”NWO”というワードから逃れることはできないし、小学生にとっては浦安鉄筋家族でのプロレスキャラ起用、並びに主要キャラのプロレス技使用が非常に印象的だった。
そもそも子どものうちにプロレスを見ていた少年たちにとっては、そのプロレスの「本気さ」というものに心を打たれていたわけであり、橋本のキックを受けるレスラーに対し「あんなん痛がってるだけだろ?」なんて思うことはできなかったわけだ。
俺は父親と何度喧嘩したかわからない。
2000年頃に中学生になった我々にとって、”K-1”の出現は「ボクシングの延長だろ?」としか思えなかった。
時同じくして出てきた総合格闘技、主に”PRIDE”におけるプロレスラーの活躍。レスリングの技術をしっかりと流用でき、関節を取るスパーリングをしてきたレスラーたちが活躍し、そして遠く地球の裏側の小さな巨人たちに対抗していく姿、特に桜庭和志の戦いぶりには惚れていった。あれは間違いなく「競技」であり、プロレスとは明らかに違った「スキの無さ」に心惹かれていった少年たちは、プロレスのことを忘れていった。
大学生になったゼロ年代中盤の青年たちは、衝撃的なものを目にすることになる。『ハッスル』だ。
あのファイティングオペラにおいて、かつては鬼神のような気迫を見せていた川田利明が『キル・ビル』さながらのブルース・リールックでプロレスをしたり、インリン様がM字ビターンなどというフォール技を使って試合を決めているところを見て、俺は「なんだ、今まで見てきたものはすべてストーリー通りだったのだ」と気づいていった。ただし、それが面白かった。面白い、ということについては疑うこともなく、プロレスの見方も変わっていった。
「如何にして身体を張った面白いものを見せてくれるか」という意識に変化していった。
パッケージに描かれた主人公がラスボスを倒すことが約束されているビデオゲームのように、最後にベビーフェイスが勝つ、みたいなストーリーが決まっているならばそれを楽しむことができるだろうか。私は矢張り「ヒール」や”Villan”が好きだ。いつだって心を揺るがしてくれたのは悪役であり、俺はジオニズムに心を揺さぶられる人間になった。
そう思うと
俺はストロングスタイルを武器に、強大な悪役となるようなこの店を、年末最後に純度100%のまま楽しむことを常に期待していた。
去年はインフルエンザで休んでいたにも関わらず、「今日がなんの日か」を覚えていてくださる「意地悪さ」を、俺は正面から受けとめていく運命なのである。
こ
こ、これは…!?!?!?
毎度臨んでいるにも関わらず、店の前に立てば足がすくむ。
渋川先生よろしく目の前に大海が広がり巨大な門が出現し、
そして火山が噴火した。
お母ちゃん…
丼ずらして麺量確認…
ズルっとやれ…ません。麺重すぎ。前言撤回です。
頑張って引っ張ってズルれば嗚呼…美味すぎるわマジ。自動カラメ。スープ少なめ。何がどうとかよくわからんがド濃厚なブツマジヤバすぎだ。2時間待った甲斐があったというものだ。
しかしだ。豚との格闘は相変わらずの仁義なき戦い。
明らかに厚すぎなブツの写真を撮る暇もなくズビズビ啜って生玉子に唐辛子ぶっかけて食えば終わりも見えてくる…
こうなってくるとまた味覚が復活してくる。
最初の5口、最後の5口が一番美味い。
何度もケツを触られる幻覚が…まあ勘違いだろう。
大満足完食フィニッシュムーブ2020年の感謝を伝え退店。
ということで年間ラーメン249杯で終了。
ま、家でなんか色々食ったりしてたからもっと食ってるんだけど。
2021はもっとラーメン二郎を!って思ってたが
1月は3杯しか食ってない。