何度も言うように
旅はその土地の良さを知ることに本質がある
わけではない。
だけではない。まあいろんな見方ができるわけだ。
俺の定義するところの旅とは、既知体験以外のものや非日常性というものの享受。ずっとそう思い込んできた人生であった。幼少期に様々な国に連れまわされたが、どうも華やかさという点では全くと言っていいほどそれを感じられない土地に赴き、体験の妙に舌鼓を打つような大人びた旅ばかりをしてきた気がする。
その反面と言ってはなんだが、独り立ちしてからの旅というのはおおよそ普通の人には考えられないラーメン旅もしくは夏フェスに行ってはしゃいで酒飲んで終わりという、旅情という点に於いては何も語るべき言葉がないような体験を実感している。
そんなことを言いながら俺はまた、いつもの友人に旅の話をしてみた。俺は一通り(ヲタク特有の早口で)旅の感想を語ったわけだが、彼の旅行感というのもまた全然違っていた。
ただ単に何にも知られていない土地で、なんの気兼ねもなく、ただただ羽を伸ばすことができる。何者でもない自分である時間を大事にすること、それこそが旅行だと言っていた。
なるほどな。世界中を旅する人間たちにとっては、そういう価値観というのが重要なのかもしれない。世界にある物を認識し、己の存在を規定する行いではなく、あくまで「解放」なのだなと。腑に落ちる言い分だな、と、彼のヒッピーライフに乾杯した。目白丸長で。
だがしかし俺のこの国内旅行の楽しみと言ったらなんだ。やはり何処どこのシーシャ屋が美味いだとか飯は何を食うべきかと人に聞いたりとか、そんな執着ばかりしていることにも確かに懐疑的にならざるを得ない。
でも仕方ないじゃない。みんなが行けっていうんだし。呼び出したらホイホイ出てくる友人もいたりするんだし。
地方の二郎系なんかどうでもいいや、なんて思っていた俺はしっかりと独自進化の空気を醸しているこの店に少しばかりグッときてしまったのであった。
こ、
こ、これは!?!?!?
いやもうここまできてこんなもん…しかも1日で3食目の麺を食らうことになるなんて一ミリも思っていなかったし、俺の死に場所は資材置き場だと腹を括っていたはずなのに…
「恐縮」と名乗る男が「ら・けいこの敷居跨ぐまで帰ってくんなよ」とかいうからこんなことになっちまったじゃないか。
ちゃんと下調べして先にコール。
天地返し気味にズルっとやれば嗚呼…ぶっとい縮れ麺にホネ感()のあるスープ絡んで…なんだ美味えじゃんこれ。
なんつーか直系で言えば桜台あたりのスープを下品にして醤油効かせた感じ…悪くねえ。
生玉子の絡みもとてもよい。やるじゃん。
こういうのには胡椒があう。
豚はまあなんというかよくあるインスパ感。皮付きか…そういうことだな。
全然腹減ってなかったが麺量もノーマルでちょうどよかった。
サクッと完食前出しフィニッシュムーブ軽く会釈して退店。
その後シーシャ3本目、居酒屋にて軽く飲酒してウェルビーでサウナ地獄のロウリュ天国喰らって就寝。
翌朝もう一回サウナキメてモーニング2食食って大阪で暴れてまた深夜バスでドナドナ。
目が覚めたら町田だった。
ウェルビー栄また行きてえ