人生は諦めが肝心である
誰が言ったか知らんが、俺もそう思う。
もう無駄だと思って悟りを開いた気になる。世界はこうじゃない。世の中の理に流され、自分はこう変わらねばならない、というのも確かにある話で。
どうにもそれが良いことが悪いことが。自分には判断がつかない。むしろ、それこそが世の中なんだろうな、ということだけはわかる。
自分と向き合う時間が増えた。このコロナ禍においてはブルーカラー、ならびにエッセンシャルワーカーの皆様以外は皆、そういった時間があったことだろう。子どもの世話の時間が増えた父親は、子どもから学ぶことも多いことだろうと思う。昼間、猫がどう過ごしているかも分かったと思うし、猫も飼い主を見つめ直し、「うぜえなこいつ」と思っている可能性もある。
まあそれはそれで、面白いんじゃないですかね。家庭が崩壊したケースもあるかもしれないが、スクラップアンドビルドは必要だ。新たな再スタートに幸運を祈る、としか言いようがない。
自分を見つめる時間が増える。何かしている方が頭が働く気もする。大腿筋は血液のポンプとはよく言ったもので、俺は自転車を漕ぐことをこの時期、一切やめなかった。20キロ程度を漕いだらもうすっかり疲れ切ってしまっていたが、ちょうどいい場所になんかちょうどいい店が入った。
春の最後っ屁、梅雨前の元気なお天気が俺の身体に「塩分を摂レッッ!!」と語りかければ、豚さんしょっぱいかなァ〜〜!!?なんて妄想を引き起こすのは当然のことだ。
こ
こ、これは!?!?!?
よく考えれば豚アリの時にありつけたの初めてじゃね?とか言いながらもうすでに3年弱も訪問してなかったのは内緒だ。
うーん、豚。豚は嘘つかないよ。美味い。
天地返してズルッとやれば嗚呼…思ってた以上に良い。麺も細いがゴリっとしていて俺好みのブツ。
偉そうだとかなんだとか思われてもこれは本音だ。本家ほどではないが、見直しちゃったぜ…
生玉子にアブラぶっかければあの楽しみを。
これがやりたくて富士丸を夢見るからね、我々は。
サクッと完食軽く会釈して退店。
帰りは大宮八幡で体調回復を願ったり、サックスを吹いているおじさんを眺めたりして帰宅。
まだまだ梅雨の始まり、って感じがなかった頃。
いい加減終わってくんね?梅雨。雨季なの?