お土産
貰えればなんでも嬉しいものである。
もらえる場合の話をしようか。
もらえるならなんでももらいたい主義の私だ、親もなんでももらっていた。母方の祖父母も「あんたの母さんはなんでももらえれば喜ぶからよかった」と言っていたくらいだ。
たらの芽はとりに行くものだったし貰い物でもあったし、山わさびやアイヌネギなんつーものはもう、どれだけもらっても足りないと思うものであった。
もらって一番大変だったのは、当時の鹿肉だ。今となってはジビエとして重宝されているブツではある。あの頃のマタギは血抜きも下手だったのか知らんが、やたらに臭かった上に硬かった。食えたもんじゃなかった。ワインに漬け込んだもも肉を、パン粉をつけてフライで、みたいな工程がやたらと面倒に映った気がする。
例えばだ。まあ遠くの土地に行ってきた友人がいる。お土産を買ってきてくれなかった場合にどう思うかと言えば、別になんとも思わず。自分自身が友人として優先度が低いか、それとも誰にでも土産を買わない人なのか、もしくは出張に行きすぎてなんとも思わないタイプの人なのか。こう推測する。
買ってくる当事者となった場合の俺なんかはもう、あらかじめアレしてしまう。言っちゃう。どこどこいって来ました、と。でもすいません、お財布に余裕がありませんでしたと。これ自分自身は言われると「うわあ気を使わせてしまったなぁ」なんて思って逆に自己嫌悪に陥ることがある。単調な受け答えで、何も考えずに済む回答をし、ああ今日も切り抜けたと思いきやしっかりと恨みを買っている場合というのはなんと多いことか。
要は余計なことをしなければいいのだ、と思った。マルセイバターサンドは貢物だ、なんて言ったけどアレはマジでだ。だって道民はあんなもの、家にあったら食ってしまうからである。白い恋人は別にありがたいとは思わない。沖縄県民はちんすこうを食べるか?という問いもあるが、答えはこうだ。あんまり自分では買わない。サーターアンダギーは買ったり家庭で作ったりしているイメージあるけど。
と、いうわけで、私は先日のとしおかで一人の賢者と出会った。私はヤツ宛に某店のメンマを預かっていたが、やつはなんと某店のブタに加え、王道のチャーシューまで持っていたのである。
完全に負けた気分だ。やつは私より兄さんだが、もういかにもB型の先輩みたいな現代のヒッピーだ。
俺は彼の先輩としての威厳に張り合うのはやめた。既に降伏しているのである。
こ、
こ、これは!?!?!?
というわけで家系ラーメンを作ってみた…とはならなかった。家系ラーメン…どうやって作るんだろう…これ今後の課題だな。
私が作ったのは簡単手軽な油そばだ。こないだいただいた富士丸のスープの油脂分…アレをとっておいたのだ。
そしてそして。先日のTで食べた焦がしネギもしっかり作った。焦がしネギ油も上からぶっかければ仙川二郎の麺がテカテカになった。
天地返してズルッとやれば嗚呼…うめえ。お醤油ガン効き、ついでにブラックペッパーも入れれば完璧な仕上がりであった。
なんという罪深い出来だったろうか。精神の浄化と自己承認欲求が満たされた気分になった。
当然王道のチャーシューは薫香ガンギマっていた。しっとりした肉肌はきめ細かく、10歳若返ったような気分を味わったことは言うまでもない。
堪能した。
サクッと完食軽くお片付けして散歩に出掛けた。
ちなみにこの翌日は塩油そばを作り
その数日後は某店の豚を乗せた富士丸を作って堪能。
なんか今までよりいい生活をしてたな、と思うようになったわけである。