文化の生まれるきっかけ、タイミングの数奇さというものを思い知った数ヶ月であった。
というのも、だ
どうにも文化的な局面というのは、何かのビックバンが起こったタイミングのような気がしている。日本を例に取れば簡単に理解、というか、納得がいくだろう。南蛮渡来の文化が入ってきた事は革命的な事であったはずだし、武士の時代に城下が栄えたというのもある意味で風習の変化にも当たる。
学説的なコメントは必要ない、こんな無駄な文章にそんな高尚な指摘は必要ない。
江戸の時代には鎖国をし、南蛮渡来の文化を長崎は出島に限定していたのは、そうした文化的な起こりからの革命を防ぐ意図が感じられた。今、日本国民1億2000万人が飼い犬と化している状況であっても、何かが起こるのは飢饉の時に一揆が起こったような香りを感じざるを得ないのである。
そして、この未曾有のコロナ禍…一つの文化が生まれた。
テイクアウトラーメンである。
我々は外出の自粛を余儀なくされた。自粛というのは「自らつつしむ」という意味を孕んでいる。自ら、というところが重要であり、「自粛要請」とは何と不可解な言葉だろうか。
禁止と言うのならわかる。禁止した上で、生活を保証します。何なら税金を払っている民のためにお返しします、というのなら、皆間違いなくその働く手を止めたというのに。
勤勉に自粛を守る民のため、ラーメン屋も試行錯誤を凝らす。生きていくためだ。メイクマネーのためだ。だが、それだけのためではない。お客が笑顔でラーメンを食べに来てくれることを願っているからだ、と、私は思う。ま、どさくさに紛れて「外国人入店禁止」とか言ってた店があることについても、私は一生忘れないし、敷居を跨ぐ事はない。
ともあれだ、本題。私はいきつけのラーメン屋数カ所のテイクアウトラーメンを手に入れることが出来た。
そのうち一つは髭のサンタさんとモヒカンおじさんが運んできてくれた。果樹酒をつけるような瓶に大量のスープ、タッパーにはお野菜とアブラ、そして黒々と熟成した麺。
私は歓喜した。髭のサンタさんありがとう。モヒカンのおじさんいつも髭のサンタさんの相手をしてくれてありがとう。
北千住の方角に五体投地し、この至高の持ち帰りラーメンを堪能した。
恐ろしいことにこれは、自粛要請以前の古から伝わる秘儀、鍋富士丸なのである。
こ、
こ、これは!?!?!?
持ち帰りでこのサイズのブタさんをぶっ込んでくるなんて信じられない…と思ったら、アブラの中にこれがまだゴロゴロと入っていたから恐ろしい。
浅草寺のお香なんかよりも幸福効果があるぞ。
当然ながら沸騰しきらない鍋にぶち込みゆるく煮た麺を持ち上げれば嗚呼…まさか自宅で富士丸ミストを顔面に浴びると思わなかった。天気の良い昼下がりのことであった。散歩のために外に出て、軽く脇に汗をかいてはいるものの、日光に照らされた顔面が一気に潤った。
ズルっとやれば嗚呼…ボキボキとまではいかないが、このごわついた麺に絡むこの香り…どう考えても自宅ではなく北区神谷で感じられるそれであった。
幸せだ。
家でしか堪能できないネギ(梶原は今でもある?)をぶち込み、ニンニクを添え、ラー油までぶっかければ完璧だ。
当然富士丸といえばこの歪な麺…ふぞろいの林檎(髭とモヒカン)たちよ、感謝する。
サクッと完食お片付けして再び散歩に出掛けた。
食い終えた後の感じまで似ている。
「富士丸を食った後のタバコが世界で一番美味い」と言っていたあの人は
相変わらず「GWだぞ!コロナ人間キリヲ!外に出て感染者を増やしてこい」
などと妄言を吐き散らしていた事はさておき。
翌日も同じブツを喰らった。
少し頭と心が軽くなった気がしたのである。相変わらず調子最悪だけど