日に日に世の中が元通りになっている感覚がある
ただし、元通りというよりは「無理やり元に戻していく」感覚だ
6/1から通常通りの営業、という声も多々聞こえてきたころのことであった。テイクアウト業状態になってしまった某ラーメン屋も「今回の発表次第」と言っていたらしい。
どうもこれを機にまた爆発的な感染が戻りそうな気がしている。
とはいえ、やはり何か「調整されている」感覚を禁じ得なかった。
当の私も、当初はコロナウイルスを疑われた瞬間があった。
明日は我が身、という意識でいたため、微熱を観測した時点でこれはまずい、という意識を持った。結果的にその微熱は今でも時たま発生し、頭痛にはもはやなれたようなもの、という感覚になってしまった。
コロナウイルスではない、という暫定的な診断結果となったものの、私は今、別の流行病が発覚した。治療のために病床に臥せながらも、家でラーメンを作ることだけが気分転換となっている。
のも、いい加減にやめたいと思った。体調の良い日であれば散歩すれば往復10キロくらいは歩けるのだ。コロナウイルス疑惑のときも散歩だけは欠かさなかった。家に帰ってきて熱があっても気にしない、頭だけ異常に重いと思いつつもとりあえず寝てその回復を祈っていれば、とりあえずはどうにかなってきた。
ブルーカラーの皆様はこんなコロナ禍の中でも元気に働き、勤務中に食ったラーメンの写真を「キリヲ待たせたな」と言っては送りつけてくる。この生活ももう2ヶ月、続いている。
営業している店は営業している。ブルーカラーの人々は働かなければならない。働くためには飯を食う。一方で、自粛ラーメン警察の皆様はInstagramで「家にいろ」と働きかけ続けていた。無益な争いというのはこういうことだなぁ、と思いながら体温計を(ワキに)くわえながら見ていた。よしんば緊急事態宣言が解除されたとて、彼らはワクチンと治療法が開発されるまで自粛を続けることだろう。
くっそ遅い生活保障をする政府になぜ文句を言わないのだろうか。このコロナ禍を落ち着かせようとしているこの空気も、アホな政府の対応のやましさにしか見えない。
坂口恭平は「コロナよりも自殺者が減らないほうが問題」と言い続けているが、まさしく俺もそう思っている。いのちの相談が役に立たない、という話も多々伺う。坂口恭平に電話したほうが助かる、そういう意見も聞く。
死にたい日に限ってそんなことを考えながら散歩をしていると、犬よりも賢くない俺は不幸にも暖簾に当たってしまう。
鬼才が注ぐ目線の先、くぐりなれた暖簾の感触を確かめた俺に待っていた運命とは。
こ、
こ、これは!?!?!?
3億年ぶりに人のつくったラーメンを食うことになった。。。隣を見ればオルタナ音楽業界が誇る最強のゲーマーまで横に座っていた。
このビジュアル…涙が出るようだ。
ズルっとやれば嗚呼…辛味噌と迷って俺は痺れるほうを選んだ。痛む脳をしびれさせる香りと、情報量の多いスープが…力強い麺とともに口腔内を満たしてくる。
鬼才が俺を見る。俺は何も言わずに見上げたが、どうやら俺は満面の笑顔を返していたらしい。
この味玉を食ってしまえば、家で味玉を仕込む気力など湧かなくなるのは当然だろう。
最後はお酢プレイ旋回させてズビズバ啜った。
サクッと完食
ブレーキの壊れたダンプカーと化した俺は当然#完飲制倶楽部 復帰を高らかと宣言して退店。
余計に散歩して帰ろう、と思ったが、やはり精神的にまだまだ死んでいる俺はそのまま歩いて帰ることにした。
周りの友人達から憐れみの視線を感じ始め、なんというか、こっから先はしばらく完全な自炊がなくなった。
本当に周りの人間に恵まれたと思う。