何事もなく未来を迎えることがどれだけ簡単で
人生を充実したものにしようとすることがどれだけ難しいか
改めて思い知らされて、改めて、忘れがちになる。
3.11の日にこれ、書いていた。こんなことを書くことになるのもなんだが大袈裟になって気がひける。なんの脈略もなくラーメンの感想に突入することへ違和感を覚える。それでも大体毎朝ある程度空間のある電車で俺はフリック入力を止めることなく行う。
大体がそのリアルタイムに何が起きるかなんて想像出来ておらず、俺はただ、友人達と飯が食えたことが幸せだな、と今になって思う。
きっと今までにどこかで書いていることだろうけど、あの日は家でゴロゴロしながらその時を迎えた。うん千キロ離れた土地にいたわけだから当然地震を感じることなんかなかったが、情報・映像で俺の心はめちゃくちゃに揺れた。
毎年、岸に高い波が押し寄せてはさも「暴力的ではないただの水位上昇」のように映ったビジョンを思い出す。映像があまりにも非現実的すぎて信じられなかったし、そのあと東京の方まで帰宅難民だ、卒業式は中止だとか言ってるとだんだん現実味を帯びてきた。
俺は1ヶ月後に大学院に入学して、相変わらず哲学・倫理学を学んでいた。とにかく金がなく、三陸に行くこともできずにまだこの時期まで聞き齧った情報を反芻している。
8年前は全く想像していなかった。東京にいて、コロナウイルスが世界的大流行して、ついでに俺は花粉症に悩まされながらまだ電車に乗っている。
一瞬一瞬大事に生きよう、みたいな感覚はあえて持たないようにしている。持つべきなんだろうな、とか思いながら、なんだかとてつもない厭世観を抱いているような気がしている。何がいいかわかんねえよな、ほんと。隣の芝生は青い。隣の国はしっかり検査して安心を与えてくれる。この国は安心を与えてはくれない。人々はよくわからないままに生活をし、よくわからないままに様々なことを忘れさせられ、三陸のゴーストタウンのこともよくわからないまま忘れさせられる。反露反共と掲げている異国の人間が、この国のやることなすことを守っている滑稽な姿などを目にする。
しゃらくせえ。ぶっちゃけこの国はすでに貧困国家だ。独り身の俺は自由にやってるが、飯を切り詰めてまで子どもを育てねばならない家庭が多くあることは忘れてはならない。お気持ち察するのではなく、言いたいことは言う。レイシストのラーメン屋以外の文句は書かない。アヒトイナザワ、だから俺はあんたに言いたいことがある。
いろんなことに怒ってると疲れる。皆そう口々に言って諦めを覚えるのはやめようや。怒りっぽいだけの人はいいんだ。本当に怒るべき瞬間って自分の身に降りかかる火の粉を払う時だと思う。
8年前は全く想像していなかった。数年後の自分が想像出来ているか。
俺は馴染みの仲間とラーメンを食おうと集まり、そしてまた別の友人も来ては感動を分かち合う。生きてる限り、よほど家族に影響が出ない限りは自粛はねえし、俺はライブハウスにも行くのである。
こ、
こ、これは!?!?!?
もはやつけと辛味のボタンを押さずには着席できない病気に陥った。麺上にかかったラー油と、隣に座ったラーメン官僚の顔を見比べてみれば必死に無表情を作っている。
素の麺をズルッとやって嗚呼ッとなれば、冷たさに引き立てられるコシ、滑り、
そして噛んだ瞬間の風味が…って、メンマ合わせりゃこれが最高か。
初っ端から辛味投入し麺ぶっ込んでズルッとやれば嗚呼…美味すぎる…なんて美味さなんだマジ…
辛味を入れても塩分、甘み、酸味、そしてボディの強さが一切霞むことなく口腔内でビンビン跳ね上がる。美味すぎるマジでビンビンだ。
奥さん、警察です!
味玉も卵黄もブチ割ってアレしていればあっという間に麺がなくなっていく。
チャーシューも最高脂身賞獲得。
写真撮っとけばよかった…とか言ってる俺本当に救われねえなと思う。
最後はタイミング読んでスープ割りブッキメてもらい当然#完飲制倶楽部 全うしフィニッシュムーブ深々と会釈して退店。
大久保まで歩いてデブ回避を試みたがまあブレの範疇。
同行したNくんはとしおかの画像を見るだけで悶えるようになってしまった。
可哀想に…としおかの悦びを知ってしまったのである。
俺?俺も食いたい