旅行の醍醐味とは飯である
とか言ってらんないくらいな状況に追い詰められている。うれしい悲鳴だ。
うれしいとかも言ってらんない。そんくらいには忙しい。全く想像できてなかったわけだ。人間の身体は一つであり、手にする時間軸も一つである。故に私は3週連続で旅行をする、となるとそれはひたすら疲れ続けることになる。
しかも行き先にて出迎えてくれるのは酒飲みしかいない。うれしい反面、完全に詰んだ気分になったというのもこれ間違いではない。
連続して痛飲すると大抵、身体のダルさと内臓の重さがグッと来る。締め付けられる感覚、チクチク痛む感覚のようなものはなく、ただひたすら重たくなる。
昼飯にはうどん以外の選択肢がなくなる。うどんは意外と高くつく。うどんにまで語れることはなく、私がうどんを語る時それはエクストリームうどんであると言える。
豚や、結局まだ行ってねえ。
こんなことをグチグチ言うのはこれが事後だからであり、当の金曜日の私と言えばもう朝からウッキウキだった。
さっくり健康診断もパスし、「(問題は)腹囲だけですね」と言われて「(頭もね)」と自分でほくそ笑んでしまうくらいウッキウキだった。
私は14時の新幹線を予約していたのにも関わらず、13時半には自由席に乗っていた。ガラガラだからまあ許せ。新幹線の中、アタシ眠いニャア、とか言いながらキャプションを書いた。京都に着くころにはああ腹減った、これは二郎だなぁなんて思ってたら臨休のツイート。私は泣いた。臨泣である。
臨泣という令和新造語を開発したかと思えば、足臨泣というのは消化を促進するツボらしい。足つぼ研究もやろうかなとか思い始めている。
そんなわけである。16時前という中途半端な時間について仕舞えばもはや選択肢はあの2つの並びしかないのだ。
店前について「焼き飯と餃子…どっちにしよう…」という究極の選択の末、もうマジで外国人観光客か昼食を逃したサラリーマンしかいない方に飛び込んだ。
ところで。「たかばし」って名前は橋の麓にあるからなのか。
こ、これは!?!?!?
旅行に来ると気が大きくなるから特製一択なんだけどまあ当然だよね。
ズルッとやれば嗚呼…お、思ったよりボディ強めな汁にストレート麺…嫌いじゃねえ。伸びやすそうな麺はさっさと食ってしまおうとズルズルやっとったらコレあれだな。。。
天一のあっさりってこんな感じだったよな、ってなんか遠い昔のことを思い出したり。
あとあれです、沖縄の人しかわからないけど浦添の『和楽』。京都ラーメンのカラーというものがようやく頭に記録された気がした。
ぶっちゃけ今回京都で食ったラーメンで一番うまかった。過大評価とか言われてる記事もよく見るが、これはこれでうまいものだなぁ。
ただし餃子、おめーはなんてオーソドックスなんだ。
ライスつけりゃよかった。チャーシューを堪能して辛味噌のせてみりゃ完全にライスが欲しい口だった。
サクッと完食向かいで食ってた西洋人に軽く会釈しお会計して退店。
その後は今出川"moch pit"にてシーシャ豪吸。東京、京都のシーシャ話で盛り上がりつつ
「二郎帰りじゃなくてよかった」とモミさんに言われる。
なんかいつも行く店に申し訳ない気持ちが若干沸いた。気がした。たぶん、気のせい。