俺はまごうことなきハードロックキッズだった。
内緒だよ。
こんなん書くのは最後にしたい、とか言いながらKISSの誰かが死んだらまた同じような投稿をしそうだ。
今朝は、プリンスが死んだあの朝なみにつらい気持ちになった。
某シーシャヲタクがシーシャ屋へ変貌を遂げそうになってることに一人でビビっており、電話をかけてきたのは朝方4時前のことであった。
そんな時間に寝ていない俺がまずいけないのだが、そうはいってもこちとら睡眠障害をこじらせた自律神経失調奴だから。
若者の人生相談に乗る俺がいるんだけど、まず俺も相談したいわけだし。かといってなんか向こうからかけてきたからそれはそれで応えてやらんといけないわけだ。
このバカが一回、iPhoneのバッテリーを落としたのがいけなかった。復活したら元気になって戻ってきやがったおかげで俺は時計の針が5時を回るのと、彼の訃報を見てしまった。
そんな時間にスマートフォンでInstagramなどを開いている俺がいるのがまず悪いのだが。
俺はハードロックキッズだった。どうしようもなくハードロックが好きだった。
うちの街は特殊な街で。北海道北見市はもう、バンド界隈がひたすらハードロックに染められている街だった。普通は高校生になればハイスタやモンゴル800が流行って皆低い位置でレスポールを抱えているもんだったはずだが、俺達はストラトを腰より少し高い位置に構えてディープパープルを弾いていた。
皆、スモーク・オン・ザ・ウォーターじゃなくてBurnのイントロが弾けた。
そんな街だった。
当時アコースティックギターでゆずでも弾こうと思っていた俺は、高校入学直後にそんなショックに見舞われたものだから…非常にやきもきした。今は札幌でプロドラマーをやっている某同級生の家に行き、友人の親父から変形のエクスプローラータイプのギターを借りてハードロックの練習を始めた。
やはり最初はディープ・パープルやレッド・ツェッペリンなんかを弾くわけだけど、そんなときに俺の目に飛び込んできたのは、そうタケダ楽器のスコアコーナーに置いてあったのはほかでもないVAN HALENのベスト盤のスコアだったのだ。
なんかレッド・ツェッペリン難しくて弾けねえなんて諦めてた俺を救ってくれたのは、”Eruption”…
嘘。”Ain’t Talkin’bout Love”だったのである。
初めて1曲弾き通したバンド。それはVAN HALENのあの曲だったのだ。
そうこうしているうちに高校生のケイキリヲはNirvanaとレイジ、そしてレッチリに出会ってすっかり様変わりした。そんな経緯があれど、心のどこかでは未だにVAN HALENとレッド・ツェッペリンが染み付いており、楽器屋でエフェクターを試すときなんかは完全にそっち系を弾いてしまう俺がいる。
と、いう話を先月、中高の同級生と山梨に向かう途中にしていた。
朝っぱらからほったらかし温泉に入り、景勝地を眺めていても、中高時代の音楽の話からは解き放たれなかった。
あれから一ヶ月経っただろうか。ちょうどその時のことを思い出していたときにこの訃報。
偉大なるEdward Van Halenよ、安らかに眠れ。
そして俺はぶっといやつを食っていたのであった。
こ、これは!?!?!?
吉田のうどんが食べたいです。完全に二日酔いで朝から体調がバッドだった俺の要望をヤツは受け入れてくれた。
めっちゃ並んでるじゃん…とか思いつつも1時間以内に入店できたのは、田舎の店の収容人数の強みだ。
しかし安いだけあって強気にトッピングしまくって挙句の果てには炊き込みご飯までつける俺。救えねえ。
ズルっとやれば嗚呼…コシの強…強すぎやろ…これで大したこと無いってか。
だっぷりと絡みつく味噌スープを想像していたが、醤油味とも味噌味とも言えぬこの感じ。嫌いじゃないな。うどんとはかくあるべきといった味付けだった。
なんて強さだ。若き日にこれくらいのハートの強さがあれば俺もハードロックからメタル街道を突っ走っていたかもしれない。
ちくわもでかすぎんだよ。どんだけサービスいいんだろうな。
サクッと完食お会計から軽く会釈して退店。
とまぁ、久々にクチの塞がらない別れを経験した。
2020年、マジでこんなクソな年は100年に1回でいい。
田沢と松尾ばりに空で微笑んでいるエディの顔が見えるよ。