文体が変わった
初期と現在の刃牙の作画くらい違う
そう言えば伝わることだろう。
振り返ることが増えた。時間がある。自分の人生を振り返り、良いことと悪いことも反芻した。自分の人生の方向付けが未だに正しいとも思っていない、何も大きな成功がないうちは、俺は安心できないなと思う。
なんで俺はこんなに長い文章を書き始めたのだろうか。
人生は永遠の暗黒期である、が信条で得る故に、矢張り安息の日々というものは訪れないのだろう。悟った。
俺は暗黒期の中で何か希望を見出すべく、書いてきた。ひたすら書いてきた。最初のチャレンジは大学生の頃に始めた個人サイトのアレだ。あの頃から毎日毎晩、思いついたことをなんでも書いていった。時代と共に主戦場はmixiに代わり、FBに代わり、そして今はこことはてなブログが俺の住処だ。
何を書きたいか、って、希望を見出したかったのだ。大事なことだから2回言う。
ラーメンをだしに文章を読ませようとしてんじゃねえ、と陰口を叩かれたことがあるが、お前にラーメンへのリスペクトがあるのか。俺以上のリスペクトがあるなら聞いてやっても良い、とは思う。聞くだけだが。
食後の興奮にラップをかけて熱と旨味、そして水分を飛ばさないようにしてきたが、このコロナ禍で書けるものも書けなくなってきたと言うのが正直なところで。
今や1ヶ月も前の記録を放出し続けることになっているわけです。
なんのためにやるのか。これはただの日記です。
日記は、続けていくことに意味があります。
何かをしても良い方向に大きく変わることはないかもしれない。
でも、行動として続けることは結果を生み出す。
あくまで言いたいことを、できるかぎり失礼のないように、というのも難しいところがある。読んでいて不快になることもある。コメントが難しい文章を書いているのは思惑通りです。
どこかの美味しいラーメン屋を紹介し続けるというのも、今のご時世では難しい。明日を超えたところにはまた緊急事態宣言があるかもしれない。
ただ俺は、それでもラーメンを食い、日記をつける。それが俺の、東京で生きていることの証だから。
俺はただ、俺の美学と戦っているだけである。素面で。
こ、
こ、これは!?!?!?
重い身体を持ち上げながら荻窪まで向かってみた末に対面できるこいつは、俺の特効薬である。
辛くないとこズルッとやれば嗚呼…美味え…最高のポタージュっぷりだ。生命の旨味を凝縮された喜びである。
辛いとこズルッとやれば嗚呼…汗、吹き出すほどではないが、生きていることを実感するこの味蕾への刺激と口腔内のアレ…
たまんねえぜ。
最高のチャーシューと最高のスープの戯を邪魔し、俺は味玉を半分にぶち割ってはいちいちガッツポーズをした。
今となってはこれが俺のベリーベストオブ味噌ラーメンである。
チャーシュー飯も堪能した!
Fさんいつもありがとうございます。
サクっと完食フィニッシュムーブ深々と会釈して退店。
店の前で職質されている人がいたが、まあいい。
そういう日もあるさ…