数年に一度、誰かのカバー曲がCMでウケる。
でも大元のバンドはウケない。
切ねえ話極まりないのである。カバーは原曲に勝てない、なんていう説もあるけど実際はそんなとこもなく、勝っちまうように感じられることも多々あるから面白い。
正直な話「またおま」のカバーネタである"Funny Bunny"については俺、良さが全然わからない。そしてそのカバーもよくわからない。ピロウズといえばハイブリッドレインボウのような哀愁と叫びが良いわけであって、とか言い始める私は矢張り北海道の人なんだろう。
カバーは原曲に勝てない、は、ラーメンに置き換えると「インスパイア系は本物に勝てない」となる。
これ、二郎になると顕著のように感じられる。
長く語る前にもう一つ話しておくと、「某家元」においては「だいたい本家ってのは大したことありません!発明して終わり!だから後続の店の方が研究してて美味しいのです(だが私の場合は違います◎!と言いたげな顔)」と言う。
これに関してもとてもよくわかる話で、ぶっちゃけた話、ラーメン二郎三田本店は本物の発明である。だが、過去の文献から「一人で作り上げたものでは無い」と読み取れることから、その「本家性」というところが可なり薄いように感じる。エゴイスティックでアーティスティックな創造物というよりは、集合体としてのアートと設定できるのだ。賛否両論湧くところがまた「アート」なのでは無いかと思う。言ってることわかる?
そしてもう一つの視点として重要なのは、本家血筋の存在だ。大袈裟な想像であるが、三田の総帥が弟子を取らず一人で続け、インスパイア店と対抗していたら勝てていない気がする。思うに、弟子をとり、弟子が店を出し、本家に近づこうと、または自分のカラーを出そうと研究開発を行う。孫弟子が三田に来て、ある程度仕込みや作りを任せることによって弟子の店のカラーが本店にフィードバックされた結果、三田は現在の地位も保ち続けているように感じられる。
これは一つの説であり、真理として提言しているのでは無いということをご理解いただきたい。
ということでピロウズと同じくミスチルにカバーされてプチパズを起こしそうだったのに結局世間からスルーされつつ、オルタナ版黒服バンドとしての地位を確立してなおリーダーが「ひきこもり」を続けるSyrup16g。
そのライブを観に行ったのは先週金曜の話だった。
天才だった頃の俺に連れて行ってと頼んだ。チケットを取れたのは神のカルマだったのだ。
私はロックンロールを翌日に持ち越すことをしなかった。明日を落としても俺はメグジを食い、池袋東口のライブハウスにて最も三田の血の濃い音を鳴らそうと思ったのである。
なんか柔らかくなった雰囲気のある若様…
声が聞こえたら神の声さ。
こ、
こ、これは!?!?!?
馬鹿みたいに並ぶ花金の山手通りは確かに億劫なものだが、それにしたって1時間で帰れるのであればまあ良いかなと思えるもの。
だが少ない…前来た時はラストロットの大盤振る舞いのときか。
しかしながら矢張りコラコラで食うヤサイは天下一品。
麺をズルッとやれば嗚呼…やっぱあの頃の小麦くさい麺ではなくなったが、これはこれでありだよな。ゴリっと感もあってなんともいえないやつだ。
サクッと消えゆく麺を惜しみつつ俺、ブタそしてアブラにコショウ振ってゆっくりと堪能したのである。
光の速さで完食フィニッシュムーブ軽くウィンクして退店。
いろいろとエネルギーをもらった気がした。早寝するつもりが思いっきりリビングルームで2時過ぎまでいたわけだが。
翌日のことで眠れなかったのは内緒だよ。